1st batch

醸造日:2001年7月20日(金)
瓶詰日:2001年8月25日(土)
醸造量:500リットル
初期比重:1.050
終了比重:1.008
アルコール:5.6%(v/v)

参加者:
宮城健、河村和彦、清井宏之、千坂尚子、大窪松樹、中山重信、日塔光一、木村不二雄、熊谷治巳、下野一哉(ロコビア)、鍵谷百代(ロコビア)

2nd batch

醸造日:2002年3月3日(土)
瓶詰日:2002年4月日(土)
醸造量:500リットル
初期比重:1.051
終了比重:1.009
アルコール:5.6%(v/v)

参加者:



考案者:熊谷治巳

−★ 材料 ★−
500リットル 20リットル
麦芽 (初期比重:1.050)

Pilsner Malt 95 kg 4.18 kg
Crystal Malt 5 kg 0.22 kg
ホップ (IBU:33.5)

Northern Brewer 90分(22.5 IBU) 152 g  
Northern Brewer 15分(6.0 IBU) 152 g  
Northern Brewer 0分(5.0 IBU) 202 g  
イースト

Wyeast #2112 (California Lager) 3リットル
(1.2*10^9cells)
XL
1pack
−★ 醸造工程 ★−
マッシング

Mash-In (grist:water=1:3) 50.0 ℃
Protain Rest 30 分 50.0 ℃
Starch Conversion 60 分 65.0 ℃
Starch Conversion 15 分 70.0 ℃
Mash-Out 10 分 78.0 ℃
Sparging 78.5 ℃
Boiling 90分
醗酵

一次醗酵 7日 17.0 ℃
二次醗酵 2日 10.0 ℃
ラガーリング 14日 0.0 ℃


この「フロンティアラガー」は「カルフォルニアコモン」というスタイルに属するビールで、ラガービールではありますが、エールビールのような特徴も備えた興味深い種類のビールです。 そもそもカルフォルニアコモンは「スティームビール」と呼ばれていましたが、現在は商標の関係で「カルフォルニアコモン」と呼ばれています。 それではカルフォルニアコモンビールの歴史を振り返ってみましょう。

「スティームビール」の歴史
19世紀の中頃、カルフォルニアを中心とするアメリカ西部はゴールドラッシュに沸いていました。 その地の人々の喉を潤す為に、当然多くのビールが生産されました。 ビール造りにたずさわった人々にはドイツ系の人が多く、彼らは自分の故郷で作られていたラガービールを生産しようとしました。 ラガービールの「ラガー」はそもそも「貯蔵」を意味する言葉で、このビールを生産するためには寒冷な土地で醸造されたビールをさらに低温で貯蔵する必要があります。 ところが当時のアメリカ西部にはその様な冷蔵施設がなく、ビール造りをする人々は常温でビール造るしかありませんでした。 どのようにしてスティームビールの製造技術が確立されたかははっきりしませんが、しだいにラガーのイースト(酵母)を用いながら、ラガービールの醸造温度としては高温である16℃以上という温度でビールを造る技術を確立して行きました。 高温で発酵させたために、一般のラガービールにはあまり感じられない果物香が感じられる非常に特徴的なビールが出来上がりました。

冷蔵施設がないために、発酵中の温度が高くなりすぎないように底の浅いバット状の発酵容器に入れられ、2日から4日間発酵が行われました。 発酵が終わると、新鮮な酵母を混ぜて樽詰めされ、ビールは酒場へと送られました。 酒場では樽の中でまだ進行している発酵の働きを利用して、ビールに炭酸を与えました。 この「酒場で味の最終調整を行う」という方法は、現在でも英国の伝統的ビールの提供方法として存在しています。 樽の管理の状況はまちまちで、炭酸の圧力が高いと樽からビールを注ぐときに、蒸気機関のような「シュー」という音がしたようです。 一説ではこれが原因で「スティームビール」と呼ばれるようになったと言われています。 当時のイーストは発酵度が低く、現在生産されているカルフォルニアコモンビールに比べると、ずっと「甘口」であったようです。

この「スティームビール」の生産は、悪名高い禁酒法の施行まで行われました。 やがて禁酒法が廃止されましたが、主流のビールは「どこにでもあるような、水のように飲める」マスプロビールになり、スティームビールの生産を再開したのはアンカー社のみでした。 そのアンカー社も次第に経営不振になり閉鎖されることになりました。 ある時、いつもの飲み屋でアンカーのビール飲んでいたフリッツ・メイタッグという学生は、アンカー社が閉鎖されて自分の好きなビールがもう飲めなくなることを聞かされました。 彼はこの会社を再興することを決意し、苦労の末に高品質のビールを生産することに成功し、アンカー社は確固とした名声を得ました。 この成功が、現在に至るマイクロブリューエリィブームの一つの先駆けとなりました。 アンカー社は、もともとはビールのスタイル名であった「スティームビール」という名称を商標として登録し、その結果として他社は「スティームビール」という名称を使うことは出来なくなりました。

フロンティアラガー
今回、東京麦酒研究会はロコビア(下野酒店)の全面協力をうけて、カルフォルニアコモンビールを醸造いたしました。 このビールを19世紀のアメリカ西部を皆さんに想像していただきながら飲んでいただくために「フロンティアラガー」という名前を付けました。
いくつかの文献を参考にしながら、新しい味への挑戦を試みました。